外食ニュース
記事への評価
取材・執筆 : 阿野流譚 2023年10月11日
今の飲食店は食事が主役だが、80年代は酒、インテリア、スタッフが醸し出す色気がありました。そんな時代の飲食店を舞台にした昭和の匂いを醸す官能ロマン小説を連載します。飲食業界出身の新人小説家、阿野 流譚氏がフードリンクニュースのために書き下ろしてくれました。ニュースとは異なりますが、ほっと一息入れてお楽しみください。
『おやすみミュスカデ』
~⑩ 路上NO-Pビル前~
「公務中だからね。まあ、ちゃんとしとこうかと思ってさ。
拓ちゃん。今おれ廊町のNO-Pビルの前にいるんだけどな、ついさっき、屋上から飛び降りて死んだやつがいてさ。女なんだけど。ま、飛び降りかどうかもまだわかんないんだけどね。
死体はもう片付けたんだけど、あたりは血まみれだ。野次馬が千人くらいたかってるよ。
だから、あんたも見にこないかって、誘ってるわけじゃないんだ。
屋上の貯水タンクの下からこの女の携帯と思われるものが見つかってさ。そこに、あんたにあてたメール、えらい長いやつがあったみたいなんだよ。そんで、ちょっと署まで出向いてもらって、事情聞かしてもらえないかなって思ってね。
お忙しい角溝の常務さんにはお休みのところ申し訳ないんだけどさ。」
指が震える。声も掠れてなかなか音にならない。なんとかしぼり出した言葉は、
「行かない。」
「えっ」
「署には行かない。後だ。現場に、廊町に行く。おれも。」
死んだのはミュスカデだ。確信があった。なんだろうこの霊感みたいなものは。しかも、悪いことが起きる時だけ鋭くなる。あの女は死んだんだ。もう二度とあの芳醇な体を抱けない。あの可愛らしい声をきくことも、唾をすすりあって一緒に飲み込んで笑うこともない。あの美しい生物はこの世から絶滅したんだ。いい年をして恥ずかしいと思いながら涙が止まらなくなった。たった一度抱いただけの女が、死んだ。おれに助けを求めながら。
現場にタクシーで乗りつけ、人混みをかき分けて前にでると、20mほどの円形をロープで囲い、人を近づけないようにしながら、ブルーシートを運び込んで、目隠しを作ろうとしている、まさにその時だった。
円の真ん中、血溜まりの一番色濃いあたりに、......立っていた。
「ミュスカデ!」
一瞬、「死んだのはお前じゃなかったんだ」ってぬか喜びしたが、ふり返った彼女の顔に浮かんだ表情、悲しみの深さは、明らかに彼女がこの世の者ではなくなったこと、おれだけに見える霊みたいなものであることを確信させた。悔しかったんだなお前。
なんで、もっと早くおれを呼ばなかったんだよ。おれはお前をずっと探してたのに。
ミュスカデは何も訴えず、だんだん透けて薄くなっていった。おれに何を頼みたかったんだろう。助けられなかった後に、姿を現してもなにも、おれはなにも......
男が泣いている。
泣きながら裸の女の上で動いている。男も裸で、つまり二人はやっている。胸を鷲づかみにして、ひねりつぶしている。
「痛いよ。もう、なんなんだよ。」
女が怒っている。
「もうやめなよ。何回出したんたよ。」
「子供作ってやるんだ。ずっと一緒にいられるように」
「ピル飲んでるから、子供なんかできないよ。ずっと一緒になんか、いられるわけないじゃん。......なんだから。」
女の顔が、目に飛び込んできた。ミュスカデ?
...彼女もうっすら泣いているみたいだ。
「拓ちゃん、溝口さん、寝てないとこ申し訳ないんですけど、ここで寝られちゃ困るんですよ。起きて起きて!」
萱場警部補の声で目が覚めた。取調べ室。
事情聴取中におれは寝落ちしたみたいだ。近ごろは美国の朝帰りのせいで、寝不足が日常化してこんなのが頻発する。社会的信用が保てない。数日前には会議中にやらかして、社長にぶん殴られた。40歳過ぎて兄弟になぐられてりゃ世話ない。
それにしても、なんの夢だろう。
もしかしたら、彼女がなにか伝えようとしてるのか?それだとしたら、
......何も他の男とやってる夢じゃなくてもいいじゃないか。
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