外食ニュース
記事への評価
取材・執筆 : 阿野流譚 2024年3月13日
今の飲食店は食事が主役ですが、80年代は酒、インテリア、スタッフが醸し出す色気がありました。そんな時代の飲食店を舞台にした昭和の匂いを醸す官能ロマン小説を連載します。飲食業界出身の新人小説家、阿野 流譚氏がフードリンクニュースのために書き下ろしてくれました。ニュースとは異なりますが、ほっと一息入れてお楽しみください。
『おやすみミュスカデ』
~㉕ BAR 山羊の歌 一週間後~
ミカがもう一度BAR山羊の歌のドアを押したのは、溝口拓也とこの店であった日からちょうど一週間後のことだった。
ミカは金を作ろうとしていた。溝口拓也に近づいて揉め事を収集してもらう手も考えたが、その前に自分にできることをやろうと思ったのだ。自分にできることはカジノ周りにしかない。もちろんこの場合自分でルーレットのディールをしたりカードを扱ったりはできない。目と勘だけが頼りになる。
それでもミカはなんとかなると思っていた。特にイカサマが行われているテーブルならそれに乗っかって儲けることができる。シンガポールは顔が割れているので、韓国のウォーカーヒルに行くことにした。もっと辺鄙なところの方がよかったが、3,000くらいの金額を捻り出すにはそれなりの高額レートが要る。
少し危険を感じながら選んだのがここだった。
ところが結果的にミカは卓につかせてもらうことすらできなかった。1日大部屋の低額レートで回して、少しタネ銭を増やしてからいよいよ高額レートの卓に移ろうとした時、マネージャー風の男に止められた。
「カジノの関係者の方ですよね。失礼ながらこの部屋でお遊びいただくことはできません。ホールであればけっこうですので、どうぞそちらの方でお遊びください。」
高額レートの卓には様々な駆け引きがあり当然イカサマもある。そこに事情を知る者に紛れ込まれては困るのだ。所作から知れたのか何かのシステムに弾かれたのかわからなかった。
ウォーカーヒルを諦め移動した仁川でも、済州でも同じことだった。結局百万円ほど持っていったタネ銭も無くして帰国したのが今朝のことだった。
あとは溝口拓也に撒いておいた種しか頼れるものはなかった。山羊の歌に行けばなんとかなるかも知れない。彼はあたしを探しているらしいし。
ところが、山羊の歌にはバーテンの桜井もオーナーの桑田もいなかった。若いバーテンと酔い潰れてカウンターに突っ伏している女の客が一人いるだけだった。時間はまだ11時にもなっていない。
「うぅー、きもひわるひよー。星くんもう帰ろうよ。」
よくあることだが、バーテンと客ができていて、客がそれを店で匂わせたり、はっきりと口走ったりする。そういう店は他の客が寄り付かなくなる。山羊の歌はそんな店ではなかったはずなのに。
それでも溝口さんに連絡をとるためには、この店しかよすがはない。ミカはその女客から2席離れたところに座った。
「何になさいましょうか?」
「白ワインをグラスでいただきます。」
と言ってからはやる心を押さえて聞いた。
「あの、桜井さんや桑田さんは、今日は...」
「あー、二人で温泉に行っちゃいましてね。ぼくは元ここのバーテンで星といいます。自分の店がおやすみの日なんですけど、こうやって頼まれちゃうということきかないといけないんですよね、業界的に。」
どこかで切り出さなければいけない。でも、この代理さんは溝口さんに連絡が取れるんだろうか? それにこの女に話を聞かれるのはなぜだか嫌な気がする。
迷ってるうちに女が起き上がって話しかけてきた。
「ねぇ、お姉さんできるだけ早く帰ってね。あたしこの人と行くとこあるんだから。」
「ちょっと美国ちゃん! すみません。酔ってらっしゃるんで、ご勘弁くださいね。」
驚いたが、あまりに失礼な話なので少しムッとして、
「いえ、かまいません。おふたりはそういう関係なんですね、うらやましいわ。あまり長居しないで帰りますからご心配なく。」
ところが酔っ払いの面白いところで、30分後には笑いあう仲になっていた。ミカはこんなことしてるヒマはないのにと思いながら、この美国という女に興味を持たずにいられなくなっていた。話がはずむうちに彼女が語り出したのは心から驚かせられる縁の話だった。
「あたしの彼氏っつか同棲してる人はね。この街じゃ知らない人がいないような人でさ。この街のいろんな揉め事やらに首突っ込んで、ガーディアン気取りでさ。そんでやっぱそうやってればモテんじゃん、いろんな女に。
でもさ、みんな勘違いしてるっつうか、あいつは誰にでも優しくだけで、誰のこともたった一人ってふうに愛してはいないんだよね。
あたしたちもさ、自由でいたいって思って、束縛されたくないって。でも、それじゃいつか寂しくなる。あたしとこの人がこっそり付き合ってるのも、あいつは知ってて黙ってるんだよ。この人つぶすのなんてわけないくらいの力あるのに。そんなのって...。」
この女の彼氏は溝口さんだ。なんて不思議な話だろう。もう、これで今日彼に連絡するのは無理に決まった。
それにしても、身につまされる話だ。たった一人。そういうふうに愛してくれなくちゃ、セックスだって燃え上がらない。シュウヤとあんなに気持ちよかったのは、なんか知らないけどこの人はたった一人の人だって思ったからだ。それが大きな勘違いで、別の意味で探し求めている人だったってわかっても、もうどうにもならない。あたしがシュウヤを助けるために他の男に抱かれたって知ったら、あいつは悲しむだろう。
いや、彼の力を借りてお金の話まで解決してもらったら必ずその話は伝わってしまう。それはイヤだ。
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