外食ニュース
記事への評価
取材・執筆 : 阿野流譚 2023年9月20日
今の飲食店は食事が主役だが、80年代は酒、インテリア、スタッフが醸し出す色気がありました。そんな時代の飲食店を舞台にした昭和の匂いを醸す官能ロマン小説を連載します。飲食業界出身の新人小説家、阿野 流譚氏がフードリンクニュースのために書き下ろしてくれました。ニュースとは異なりますが、ほっと一息入れてお楽しみください。
『おやすみミュスカデ』
~④ 夜明け前~
どうしても彼女の名前を思い出せないので、ミュスカデと呼ぶことにした。もうこの世にいない人だけど、もしこのあだ名を聞いたらおこるだろうなと思っている。体液の特徴からあだ名をつけるなんて、まともな大人の考えることじゃないよね。
ともかく、ミュスカデとおれはその後1時間ほど歓を尽くした。へとへとになった。今思い出しても、おれの生涯ベストセックスのトップ5には入るやつだった。
彼女はその最中ずっと目を閉じない。清楚な面差しは絶頂に向かうまでに徐々に懇願の表情に変わっていく。その可愛さについまた唇を求めていくと、思い切り舌をこすりつけたり舌先でつついてきたり、おれの唾液を吸い上げてまた送り返してきたりする。
下は下で水分をしっかり蓄えて緩くあれを包みこみながら、こちらの角度とリズムのバリエーションに反応して時々びくっと強く握ってくる。
声も普段の凛々しい感じはとすっかり変わっている。口癖なのか何度も発する
「あ、待って」
という声は、さっきの、バイトだからとおれを制した「待って」とはまったく別で、遊びのペースについていけない少女の懇請のように愛らしい。
背骨をくすぐられるような快感が走り、おれはそのたびに動きを止めた。優しく聞き入れたわけではなくて、いってしまわないように。
買った女に過ぎないのに執着が消せなくなった。連絡先を聞いて、必ずもう一度二度、できれば何度もこの女に耽溺したかった。そうすれば、おれのものにできる自信もあった。必ずそうしよう、まだ何度も楽しめる。必ず、必ず
目を覚ましたた時に、もうミュスカデはそこにいなかった。酒の酔いせいか、激しい行為の果てにか、おれは寝落ちしてしまったみたいだ。
「よく眠っているので先に帰ります。二万円だけ、お財布からもらっていくね。とっても素敵だったわ。ありがとう。」
走り書きが残っていた。二万円、安くねえか? こんな感動に変な値段をつけられて、なんか納得いかなかった。
そして間抜けなことに、連絡先も交換せず、さっき店で聞いた名前もどうしても思い出せなかった。自分をもっとののしり倒してやりたいところだが、時計は4時をまわって、夜明けの早い北の街の空は、もう薄い朝の光をはらんでいた。
部屋には一緒に暮らしている女がいる。廊町というこの街の歓楽街のホステスで美国という名前。父親がアメ車好きが高じてディーラーを始めたころに生まれたことからつけられた名前だそうだ。この父親の店はいくらももたないで倒産したらしく、さほど裕福でない暮らしから抜け出したくて廊町にやってきた。顔と心はとても綺麗だけれど、どうしようもないほどバカだった。こんな名前をつける父親もバカだけどな。中国人かよ。
彼女を傷つけないためとは言え、ホテルのスイートくらい高層まで積み上げたおれのうそをだいたい信じてくれた。こんな女とじゃなければ一緒に暮らすことなど絶対にできないといつも思っていた。さあ、今日はどんな嘘にしようか。なかなかキレのあるやつは浮かんでこなかった。
美国が、いつものように酔いの揺かごの中でぐっすり眠っていてくれて、用意したウソは使わないままゴミ箱に放り込むことを願いながら、こんな時間に見つかるかどうかしれないタクシーを捕まえるために、おれは夜明けの通りに飛び出した。
読者の感想
興味深い0.0 | 役に立つ0.0 | 誰かに教えたい0.0
- 総合評価
-
- 0.0