外食ニュース
記事への評価
取材・執筆 : 阿野流譚 2024年3月13日
今の飲食店は食事が主役ですが、80年代は酒、インテリア、スタッフが醸し出す色気がありました。そんな時代の飲食店を舞台にした昭和の匂いを醸す官能ロマン小説を連載します。飲食業界出身の新人小説家、阿野 流譚氏がフードリンクニュースのために書き下ろしてくれました。ニュースとは異なりますが、ほっと一息入れてお楽しみください。
『おやすみミュスカデ』
~ ㉖ noーpビル屋上 【最終回】~
もうすぐ夜が明ける。夏がそこまで来ているから夜明けも早い。結局2時頃まで飲んで、美国さんはタクシーまで、運ばれて帰っていった。もう星さんと出かける話はなくてもいい事にしたみたいだ。
彼女が帰った後、星さんが、
「今日お出ししたワインはいかがでしたか」って聞いた。
「2杯目から違う銘柄でしたよね。後の方はなんかとってもあたしに合うっていうか、好きな味です。」
「これはね。もともとはシャルドネだったんですよ。それが南の河口近くに連れて行かれて、地質とか気候とかもあって別の特徴を帯びて。
華やかな酸味や花の香りみたいなブーケとかは南に行ってからのものです。」
「なんて酒類のワインなんですか?」
「......ミュスカデっていいます。
知ってましたか?拓ちゃんがあなたに最初に奢ったワイン。それから、あなたにつけたあだ名でもあります。
なんとなくあなたの個性と似たものを感じたんですかね。縁て不思議ですね。」
「あたしのこと...知ってたんですね。」
「はい。すぐ気がつきました。美国ちゃんがいたから言えませんでしたが。
拓ちゃんに連絡したかったんですよね。なんなら今電話しますか?」
「こんな遅くに?」
「あの人、美国ちゃんが帰ってくるまで眠れないんです。だから起きてると思います。もしお急ぎなら......」
「...いいえけっこうです。もういいんです。お願いしたい事があったんだけど、とってもいい人だってわかったらかえってお願いしづらくなりました。それに、本当に大した事じゃないし。
拓ちゃん...にも、今日ここに来たことは黙っていてください。ずっと先のいつか、素敵なあだ名つけてくださってありがとうございますって伝えてください。」
店を出て、ふらふら歩きながら、屋上に上がれるビルがあったことを思い出した。そのビルの屋上まで登って、少し考えた。
あたしだけの力でシュウヤを助けよう。それならできることは一つしかない。
どうせこんな身体だし、あいつと一緒にいることももうできない。それなら、二人で幸せになる事ができないなら、一人だけでもなんとかしたい。
不思議にとてもすっきりした気持ちだ。普段こんなに飲んだら、発作を起こしたり、薬の副作用が出て動けなくなるのが普通なのに、なんともない。
大きく息を吸い込むと、この街の夜の香りがはっきりと匂った。それは全然違う香りなのに、故郷のあの赤い大きな花の香りを思い出させた。
頭が冴えた感じがしたら、いいことを思いついた。これなら自殺ではないと見せかけられるかもしれない。それに、あたしがいなくなった後のシュウヤのことも頼んでいけるし。
携帯にメールを打った。拓ちゃん宛に。探させたお詫びもしたかったし、シュウヤのことも頼みだかったし、なんか、そういう頼みごとはしてもいい気がしたから。
絶対に自殺じゃないって思われるようなフェイクも入れて、途中で突然やめたように見えるとこで文章を切って、給水タンクの下に放り込んだ。どうか警察の人が見つけてくれますように。
ここの金網にはドアになってるとこがあって、鍵がかかっていない。
そのドアを開けて外枠のところに座った。風がすごく気持ちいい。この風に乗ってあたしはどこか素敵なところに運ばれていくような気がして、小さくつぶやいた。
「さよなら廊町」
タバコを吸いがてら外に出て、朝の配達の荷積みをしている若い子らの顔を見にいく。
拓也の日課だ。そのために夜は遅くても眠れなくても、7時には会社に行く。
拓也は一人の短髪の青年を見て、おっ、と声を出した。近寄って行ってその子の頭をぐしゃぐしゃっと撫でた。
「髪切ってきたな。うん、酒屋っぽくなったじゃねえか。」
「はい...でも、なんか恥ずかしいっすね。」
「そんなことねえぞ、清史。今の方がずっといい。廊町に配達に行ってお客さんの女に引っ掛けられたりすんなよ。」
フォレストのシュウヤは本名の岡田清史になって、角溝で働きはじめた。拓也は心から清史がこの仕事を投げ出さないで、しっかりと生きていってくれることを願っていた。そしたら、ミュスカデに頼まれたことは、小さいことだけどなんとか果たしてやれた気がする。
あとは、自分の始末だよな、もうあっちこっちの女にふらふらすんのはやめないといけねーかな。そんなことを考えながら、拓也は大きなあくびを一つした。
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