外食ニュース
記事への評価
取材・執筆 : 阿野流譚 2023年10月11日
今の飲食店は食事が主役だが、80年代は酒、インテリア、スタッフが醸し出す色気がありました。そんな時代の飲食店を舞台にした昭和の匂いを醸す官能ロマン小説を連載します。飲食業界出身の新人小説家、阿野 流譚氏がフードリンクニュースのために書き下ろしてくれました。ニュースとは異なりますが、ほっと一息入れてお楽しみください。
『おやすみミュスカデ』
~⑥ 珈琲屋え•びあん~
午前中、またあのやばっちいリストラがらみの仕事をして、2時まで車で昼寝してから、廊町の喫茶店「え•びあん」で桑田と落ち合うことにした。あいつは夜じゅう起きていて、巡回と酒をやっているから、このくらいの時間でないと起きてこない。巡回パトロールとは、誰かに頼まれての治安活動とかではなく、客がいない早い時間に廊町をぐるぐる歩いて、出会った知り合いに「久しぶり、少し飲んで行かないか?」と、声をかけて店に引っ張ることをいう。キャッチの原型だ。
桑田の店はゆうべの「山羊の歌」だが、正確に言うと法律上のオーナーは角溝だ。あいつが他の店でしくじって破産が避けられない状況になった時、利益の出ている「山羊」を残すために、角溝が権利を買い取ったことにしていた。まあ、擬装倒産てやつで、明らかに違法だ。ずっと昔の話なんで、多分時効だと思うから言うけどね。
角溝はこんなことをいくつもやっていて、兄貴は右翼に自宅まで街宣車を回されたこともあるし、多分当局にも目をつけられていたと思うが、警察の方は、こちらは本物の治安維持に一方ならぬ貢献をしていたので、なんとなく見逃されてる感もあった。俺たちは廊町の客を助けることが仕事で、多少法律を踏みにじることは「やる」ことにしていた。
桑田徹也はおれの中学の同級生だった。兄貴もこいつのことを「桑」って呼ぶような仲だから、助けてやれよってことになった。
「山羊」はオーセンティックなバーだが、桑田が買い取る以前はお好み焼き屋だった。名前はそのまま使った。内装は少し直しただけだったのを、破産の時に思い切って改装し、通りに面した壁の半面を上から下までワインの空ビンを横に植えて作った。このビンはおれが集めてやった。内装屋の作業場まで運んだのも、おれと美国だった。美国はその頃いた「山羊」の星って言うバーテンが好みで、おれは星に、
「拓さん、おれ美国ちゃんにホテル行こうって言われて、拓さんの彼女なのにそんなわけにいかないし、困るんですよ。」
と、泣きで訴えられたことがある。星が独立して自分の店を持ってからはあまりこなくなったが、その頃の「山羊」は美国のお気に入りだった。
桑田は1時間遅れて3時に現れた。長身、長髪でサファリジャケットを羽織ったブリティッシュロックバンドかぶれのスタイルは今に至るまで変わらない。もっとも今は外人の乞食みたいになってるけど。ヘラヘラした笑みを浮かべて「やあ」と気の抜けたようなあいさつをよこした。もう今はこいつに時間のことで文句は言わない。代わりにグダグダ続くこいつの遅刻の言い訳は聞いたふりをすることにしていた。それが終わってから、おれは昨夜の女の話に移った。
「......このさ、女を、おれはミュスカデって呼ぶことにしたんだけど」
「あー、いい名前だね。おれもミュスカデ大好きだ。パンチがあっていいね」
どうでもいいような流れから、
「お前、その女見たことない?」
桑田はパトロール以外の場合はカウンターに立っている。絶対に酒は作らないがカウンターの中に入って客と話す。だから、ミュスカデがもし常連なら桑田は見たことがあると思ったんだ。
「そりゃダメだねぇ、おれの店をチョンの間みたいに使われたら。場所代もらおうかな。」
そんなことは聞いてない。もう諦めて帰ろうとした時
「多分あの子のことかな。」
桑田がニヤっと笑った。
読者の感想
興味深い0.0 | 役に立つ0.0 | 誰かに教えたい0.0
- 総合評価
-
- 0.0