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取材・執筆 : 西尾明彦 2019年7月5日執筆
大阪を中心に13店舗(うちFC1店舗)を展開、「ミシュランガイド」ビブグルマン3年連続獲得するなど、大阪を代表するたこ焼店として有名な「たこ焼道楽わなか」。創業者である和中徹氏がたこ焼店として創業したのは1986年だが、その歴史は1950年(昭和25年)まで遡る。
「父が『わなか 千日前本店』がある場所に最初、寿司店を開きました。その後、駄菓子屋に商売替えをして、店頭でたこ焼きを売るようになりました」と、株式会社和なか 代表取締役会長の和中徹氏。
たこ焼を始める前は8年間、美容室「ヴィダルサスーン」で美容師として働いていたが、腰を痛めて退職。新たなるチャンレジとして、たこ焼店を志した。

株式会社和なか 代表取締役会長の和中徹氏
「商売をやるなら、大阪を代表するものをと考えて、一番ポピュラーなたこ焼を選びました。当時のたこ焼きは、テキ屋がやっているようなお店か、駄菓子屋などの軒先でついでにやっているサイドビジネス的なもの。これを、美容師が技術にサービスで付加価値を付けているように、付加価値を付けてブランディングすればいけるんじゃないかと考えました。子どものお小遣いで買える手頃な値段で、食べると悩みが吹っ飛び、気持ちが豊かになる、そんな料理にしたかったんです。」
味のバラツキをなくすために、粉や出汁のブレンドは早い段階で外注化。焼いてから一定時間が経ったものは廃棄と、自身が感じていた既存のたこ焼の弱点を排除。一番おいしい出来立ての状態で食べられるよう、店内にテーブル席を用意し、たこ焼のクオリティーを上げて、地位を高めていった。
「営業後の深夜に粉のブレンドをしていると、今何杯入れたか分からなくなったこともありました。味がブレないよう、外注するようになりました。最初は小さなメーカーに、今はより高度な機器を持つ大手メーカーに独自レシピでお願いしています。細かく粉砕すると、粉が沈殿しにくいんです」
たこ焼機は熱伝導率が高い銅製。焼き方にもこだわりがある。ネギを先に入れ、後から生地を流し入れる。
「『わなか』のたこ焼は生地の希釈率を厳密に計算しているので、水分が飛ぶ前に素早くひっくり返して閉じるのがコツなんです。紅ショウガではなくて塩生姜。天かすのトロけ加減、タコの塩加減、出汁の甘みのバランスも大事なんです」と、誰が焼いても一定の出来になるよう、焼く技術は、細かいところまで言語化、共有化されている。

創業店である「たこ焼道楽わなか 千日前本店」。「なんばグランド花月(通称NGK)」すぐ傍にある
創業から10年後の96年に2店舗目「アメリカ村店」を出店。店舗展開を始めたのは2000年代に入ってからのこと。
「意外と心配性なんですよ。店舗によって味やサービスの質にバラツキが出るくらいならお店を閉めたいくらいです。きちんとマネジメントしたくて、目が届く範囲で店舗展開してきました。」
フランチャイズ店を一時は増やしたが、クオリティーを保つのが難しく、今は気心が知れたオーナーの1店舗だけ。出店数を増やしていくことにはこだわっていない。
「ずっと出店したくて、物件が空くのを待っていました。」という最新店が、18年4月にオープンした「道頓堀店」。道頓堀は食い倒れのメッカで、わずか300メートルほど通りにたこ焼店が約10店舗存在する、関西最大のたこ焼激戦区。道頓堀で成功することは、「わなか」の名声を更に高めることになる。
人材不足は外食産業全体の課題。「わなか」で今進めているのは、ある仕組みづくりだ。
「これまでも『わなか』のファンで、スタッフになった人が何人もいます。今後は外国人のお客様にも、ウチで働きたいと思うぐらいのファンになってもらいたいんです。まだ手探りですが、このパターンができると、雇用問題が解決できるのではと考えています。」
2019年4月には 、大阪をもっと盛り上げたいと、"たこ焼は大阪を、そして地球を救う?"を合言葉にイベント「おおさか たこ焼ジャンボリー」を開催し、2日間で4万人を集客。自社のテーマソングを歌う和中氏を筆頭に、夢を持って働いているスタッフも歌や演劇などパフォーマーとして活躍、参加者を楽しませた。
大阪発たこ焼きのトップランナー「わなか」のユニークな取り組みは、今後さらなる注目を集めそうだ。
■株式会社 和なか
住所:大阪府大阪市浪速区元町2-8-21
TEL.06-6195-8200
http://takoyaki-wanaka.com/
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