外食ニュース
記事への評価
取材・執筆 : 阿野流譚 2023年11月18日
今の飲食店は食事が主役だが、80年代は酒、インテリア、スタッフが醸し出す色気がありました。そんな時代の飲食店を舞台にした昭和の匂いを醸す官能ロマン小説を連載します。飲食業界出身の新人小説家、阿野 流譚氏がフードリンクニュースのために書き下ろしてくれました。ニュースとは異なりますが、ほっと一息入れてお楽しみください。


『おやすみミュスカデ』
~⑫ 麻生神社の森メゾンラフィット~
街の北の外れにある大きな神社の森の、裏手の通りから深く入った突き当たりにある瀟洒なマンションの一室に、ミカはひっそりと住んでいた。人を拒絶するような場所が彼女には不思議と心地よかった。
夜明けまでカジノで働いて、目覚めるのは午後になる。それも、しばらくはベッドの中で、寝ているあいだに抜け出した魂がもう一度戻るのを待つような時間を過ごさなければいけない身体だった。幼いころに深く傷ついた心が、身体の変調を呼び起こし、それを抑えるため薬の副作用が、さらに彼女の生活を制約していた。
支払った痛みの代わりに彼女は、普通の人間にはありえないようなさまざまな鋭敏な感覚を授かっていた。例えば5月のようやく成長してきた新緑が起こす葉ずれの匂いを嗅ぐことができたり、真冬の雪の日の、全くの無音の世界を聞くことができた。運動が得意なわけではないが、高速で回るルーレットの数字に合わせてボールを投げ入れる指先の感覚も、そういった特殊な能力の一つだったのかもしれない。
普通の生き方は既に諦めていた。あの南の国で、買われた身として扱われながら心を少しずつ死なせてきた日に、夢を見ないことをすり込んできた。
いま、ここにいることは奇跡であり、さまざまな身体上の制約は、この奇跡からすればあまりにわずかな対価でしかなく、ともすれば自らがが自由であること自体信じられなくなってくる。
Bequiet.それだけをいつも自分に課して、仕事の場では少しは明るいキャラを演じて、一日一日をやり過ごす。それがモナコのエースディーラーMikaだった。
それがどうしてか、ゆうべ、全くあの店にふさわしくない野良犬のような男に心を揺らされた。後で不正を疑われ店から事情を訊かれるような真似をしてしまった。
何が?そう彼女は自問する。わからない。でも、何かを感じた。匂い?かもしれない。高い湿度の中に漂うかれの体臭は、まとったコロンの匂いと混じって、潮風の匂いに南の鮮やかな植物の濃厚な香りが溶け合った、まさに懐かしいあの故郷の匂いにちかいものだった。
「あぁいい匂いだ。あたしの好きだったあの町の、ほんの短い幸せだったころの匂いだ。
その瞬間の突然子宮の鳴るような感じは、久しぶりに訪れた身体の仏きというよりなかった。あの情けない野良犬はどこの誰だろう?もう二度と店に来ることはないかもしれない。あたしのことも、あたしがわざとあいつに儲けさせたことも、あいつはなんとも思わない。しょうがないじゃないか。あたしはこんな壊れ物だ。だれかが振り返るような女じゃない。
無性に自分を慰めたくなった。左手を乳房に添えて揺さぶり、時々乳首をつまんで爪を立てた。右手は下に伸ばしてまず、手のひらでゆっくりと全体を圧迫し、指の間からはみ出た小陰唇をそーっとなで伸ばしてあげる。それでもう彼女の身体はスイッチが入る。普通の女より何倍も鋭敏な感覚が彼女を違う世界に連れていく。そうなるともう、ミカは一匹の動物だった。のたうちまわり、押しつぶし、鳴き声をあげ、涙を流し、歯を食いしばって激流にたえながら、少しでも絶頂を遠ざけようとする。こんなに何度も逝ったらほんとに死んじゃう。
この敏感すぎる身体にかけられた呪いを彼女はどうすることもできない。最後はなんの遠慮もなく、指を二本重ねて突っ込んでGのあたりを連打し、引き抜いてクリトリスになめしでもかけるように擦り倒して、気絶して果てた。
そして、目覚めた時、ミカは号泣した。こんな身体に子供のころから仕込まれて、次はボールを放るのが上手だからディーラーになれとか、カードが使えるからどうだとか、あたしは何なんだ。人じゃあないのか。女狼の遠吠えのような嗚咽はミカのどこにも行き場がない命の嘆きを訴えていた。
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