フードリンクレポート
記事への評価
取材・執筆 : 千葉哲幸 2019年5月30日執筆
株式会社ベンチャー・リンク(以下、VL)という会社がフードサービス業のFCの世界を台風のようにかき回していた時代があった。1990年代の後半から2000年代の半ばごろまでの10年間足らずことである。この間に多くの経営者に事業拡大の夢を見させて、さまざまな問題を発生させ2012年3月に消えた。だが、ここの出身者は多く、いまの飲食経営の一つの「骨」になっている。
【関連記事】
ベンチャーリンク第3世代が作る、コンサルと店舗運営をミックス。
個人店が大半だった焼肉で1000店舗を決断。今の経営者にできるか?
から揚げ戦争に「吉野家」参戦か?
筆者はこの当時、商業界の「飲食店経営」編集部に在籍し、編集長も務めた。VLの動向には常に注目して、事あるごとにVLと同社がかかわるフードサービス業の取材を行っていた。そこで本連載では当時の記憶をたどりながら、VLとはどのような存在であったかということを論述していく。
VLの存在が最も注目されていた当時の事業は加盟店開発にはじまるFC支援であった。ここでまず、同社がどのような意図を持って事業に取り組むことになったかまとめておこう。
VLが世の中の表舞台に出てきたのは1995年の暮れのことである。きっかけは、岡山市に本拠を置くベーカリーレストランチェーン「サンマルク」を経営する株式会社サンマルクが株式を公開したこと(1995年12月)。会社が設立されてから、わずか6年のことであった。サンマルクとは店頭でベーカリーの出来立てをアピールし、店内ではフランス料理を提供する客単価2300円のレストランである。
その報道では必ず「株式公開を支えた会社が存在した」とあった。社名はなぜか明かされていなかった。そこで読者はその会社のことを調べることになり。それがVLであることが知られ、同社のことが伝説のように語られていった。
VLの母体は、京都に本拠を置いていた中小企業経営に特化したコンサルティング会社の株式会社日本エル・シー・エーである。同社の創業家である小林忠嗣氏が考えたアイデアを元に東京で設立したのがVLである。1986年3月のことであった。
小林忠嗣氏
1997年の9月、VL特集を行うリサーチのために同社にアポを入れたとき、小林氏より「○月○日の20時に来てください」という返答があった。普通、インタビューは、日中に行うものだが、小林氏が指示をしたアポの時間の真意がよく分らなかった。しかしながら、同社を訪ねて合点がいった。夜中の20時でも職場はキビキビとしていた。だるい感じの残業風景ではなかった。当時、普通の人の3倍くらい働くことに「ドッグイヤー」という言葉が使われ、それを実践することがエリートの基本とされもてはやされたものだが、それを実感させる光景であった。
さて、小林氏が語ったVLの事業の狙いはこうだ。
----中小企業固有の問題に「素晴らしいアイデアがあっても資金がない」ということがある。その一方で「資金があっても本業に将来性がなく新しい事業を模索している」という企業もある。この両方を結びつけることができれば、双方にとってメリットがある。どんな事業にも実際に収益を上げている仕事の他に、やむを得ず行っている仕事があり、その分の生産性が上がらない。その生産性が上がらない部分をVLが担って生産性が上がるようにする----。ざっと、このような内容であった。
この「双方にとってのメリット」となるベースをつくるために行ったことは、会員になってもらうべく中小企業の情報を集めることだった。そこで金融機関に飛び込みに近い形で営業活動を行った。
後にVLの社長となった田中恭貴氏は当時を振り返って筆者にこう語ってくれた。「営業している先の支店長が仲人をする結婚式で、支店長が挨拶する文章を書いて差し上げるということもあった」----とにかく、上から下まで営業先へのサービスを尽くしたということである。
そして、旧相互銀行や信用金庫から徐々に提携先を増やすようになり、万単位の会員を組織化して実績を積んでいき、地方銀行やVLの関連会社によって都市銀行とも提携を進めるようになった。この当時全国約196機関、9万社を組織するに至った。
このような事情で、VLの設立から約10年間は金融機関のシンクタンク的な機能を果たすことが業務の中心となった。その過程で、VLはサンマルクと出合ったのである。(続く)
読者の感想
興味深い0.0 | 役に立つ0.0 | 誰かに教えたい0.0
- 総合評価
-
- 0.0