フードリンクレポート
記事への評価
取材・執筆 : 大鶴義丹 2016年9月1日
中央線沿線で生まれ育った私にとっても、中野は謎深い雰囲気を持つ街であった。小学生の私の記憶にある中野は、中野ブロードウェイの地下で一大ブームを起こした巨大ソフトクリームである。世間の常識をぶち壊す破壊的な大きさのソフトクリームに子供たちの心はときめいた。また平成になってからは中央線ラーメンブーム中心的エリアとなり、「青葉」を筆頭に、行列店が幾つも出来たことでも有名である。
また中野と言う街のイメージの中核でもある中野ブロードウェイは、昨今ではアニメからオタク的サブカルを彩る不思議な店が九龍城のごとく密集していて、日本オタク的な外人観光客には秋葉原と並んでマストな場所だ。
細い路地が迷路の様に広がり、夕方になれば無数の飲食店ネオンが色めきだし、溢れ返るような人の流れに、まるで今夜はお祭りでも行われているのかと思ってしまうほどだ。
野良猫を大事に保護している店主が多く、店前に猫の小屋があったり、人慣れしている猫たちがすり寄ってきたりするのも中野の路地裏の特徴だ。
ただ、その繁華街のざわめきは新宿や池袋のような厳めしいものとは明らかに異なっている。また恵比寿や中目黒などの華やかさがある訳でもなく、下町のオヤジ御用達でもない。中野というのは、こんな街でこんな人が沢山いるという決まりがないのだ。自分の好きなようにして良いと言わんばかりの大らかさが中野の街には溢れている。
そんな中野の自由さの原点が徳川綱吉の「生類憐みの令」にあると知ったのは、歴史再現ドラマで綱吉の役を演じた時である。
なんと徳川綱吉は中野に巨大な御囲を作りそのエリア全てが約八万頭の犬の住居であったという。
綱吉の文治的政治手腕は昨今の研究で再評価されているという話は割愛するが、天才的変人としても有名だった綱吉。彼という孤高の存在が、中野独特の不思議な磁場の原点だと直感した。
また後に、その場所は暴れん坊将軍こと吉宗が美しい「桃園」にして、鷹狩りなどを楽しんだと言う。大昔から、中野にはそんな自由な磁場があるのだ。
そして戦前には、スパイ養成の総本山、陸軍中野軍学校となる。これが中野サブカル文化の原点かもしれないと、面白おかしく推察してしまうのは私だけではないはずだ。
中央線において焼きトンや内臓料理を誇る店は多いが、この「泪橋」は本当の宮崎地鶏と、本当の宮崎鶏肉文化に出会える店である。
焼き鳥というと美味しいものの、焼きトンに比べ、パンチに欠け少し味気ないイメージを持っている方も多いだろう。だが宮崎出身の店主が魅せる、本当の宮崎地鶏の世界を知ると、反対に焼きトンの方が迫力負けしてしまう。
「地鶏モモ串」「トリ革」など。創作料理や色々なメニューにも目移りしてしまうが、この三品が宮崎地鶏を知る上での一押しだ。
とくにモモ串を食べた瞬間に、その肉の触感に今まで食べていた地鶏と全く違う生き物であると分かるだろう。牛肉ステーキかと思うような噛みきれないほどの弾力の奥から、滋味深い旨味が隠れている。またその焼き方が宮崎地鶏文化の真骨頂である、炭と皮の油を強く焦がすことにより、燻製のように黒く焼きあげる手法だ。これを宮崎の方言では「すぼらせる」というらしい。
続くはトリ皮、このトリ皮の美味さを分かり易く表現するのはその厚みであろう。普通のトリ皮の二倍の厚みがあり、ハッキリ言って固い、だが旨味も二倍あるのだ。この皮の厚みと強さは、ブロイラーとは違い、南九州の自然の中で育つ宮崎地鶏の鎧なのだろう。
店主にこれらの宮崎地鶏のこと聞くと、やはり宮崎出身故に良い農場との関係があるらしく、広いエリアで自由に飛びまわりながら、長期間で育てられる品種にのみ味わえるものだと言う。
中野の裏路地は色とりどりの明かりが演出する楽しい迷路だ。一軒目を後にするや、次から次へと二件目への誘惑が渦巻いてくる。その誘惑に反抗することなく、果てしない迷路の奥へと進む。その先は時空を超えた綱吉の作った不思議な施設かもしれないなどと夢想する。
これ程に贅沢な迷子はいないであろうとひとりほくそ笑んでしまった。
大鶴義丹(おおつるぎたん)
≪ 生年月日 ≫ 昭和43年4月24日
≪ 出身地 ≫ 東京都
≪ 出身校 ≫ 日本大学芸術学部文芸学科 中退
≪ 血液型 ≫ A 型
≪ 趣 味 ≫ 料理、バイク、車、釣り(小型2級船舶免許)
≪ 特 技 ≫ 料理、素潜り
≪ スポーツ ≫ スキー、モータースポーツ(2輪・4輪共にレース経験あり)
≪ 資 格 ≫ 大型自動二輪免許
≪オフィシャルブログ≫http://ameblo.jp/gitan1968/
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