フードリンクレポート
記事への評価
取材・執筆 : 中山秀明 2015年10月1日
数ある飲食業態の中で、極めて特異なジャンルがある。それが「スナック」だ。飲食を楽しむところであり、多くはカラオケで歌える店であり、ママをはじめとする店員とディープな話ができる場所でもある。歴史は古く、全国に20万軒は存在するという説があるものの、詳しい実態は謎だ。また、紹介する情報誌は希少で、『食べログ』にもジャンルはなく、検索してもほぼ出てこない。
そう考えると一見では衰退していくと思われそうだが、そんなことはない。最近では「一般社団法人 全日本スナック連盟」が誕生したり、その会長である玉袋筋太郎氏によるTV番組が放送されていたりと、盛り上がりを見せている。さらには『スナックキングダム(SNACK王国)』や『スナッカー』という専門の情報サイトがあったり、有名雑誌で特集号が出版されたりと、実は密かなブームになっているのだ。ということで今回はスナックに焦点を当て、その魅力を改めて紹介するととともに人気の秘密に迫りたい。玉袋氏や現役ママなど関係者の証言を交えながら全4回のレポートで綴っていく。
ゴールデン街北側エリアの「新宿三光商店街」のひとコマ。戦後のノスタルジックな路地に、昔ながらのスナックからバー、居酒屋、ラーメン屋などが立ち並び、カオスな雰囲気を醸し出している。とにかくどの店も個性的なのが魅力だ。
第2回は、実在する有名なスナックにお邪魔して、現役のベテランママにインタビューをしつつ、ひと通りの体験レポートをお届けする。店は、新宿・歌舞伎町の一角にある有名な飲食エリア・ゴールデン街の五番街にある「Le Matin(以下、ルマタン)」だ。ここはいわゆるオーセンティックなタイプのスナックではあるが、カラオケはない。そのため、じっくり会話に集中できるというのがいい。また、ママの手料理を楽しめるというのも大きな魅力である。
ルマタンの入口。「Member's」というのは会員制という意味だが、実は酔っ払いなど悪質な客を断るためのものだ。
料金システムを紹介しよう。基本的な営業時間は19:00オープンの3:00クローズで、定休日は日曜祝日。時間制限はなく2000円が基本料金となり、この中にチャージと料理と1ドリンクが含まれる。メニューリストはフード、ドリンクともになく、料理はママのお任せ。最初に適当な数品が提供され、もっと食べたければ申告するかママのオーダーに答えるというシステムだ。ドリンクは店にあるものならどれでも1杯500円で、ボトルは4000円。価格表記こそされていないものの、実際はかなりおトクで明瞭会計といえよう。
店内。ゴールデン街の店は基本的に狭くこぢんまりとしているが、それがまた魅力でもある。壁には常連客などに関する記事や作品、告知、掲示物がびっしり。ピークは24時ぐらいだそう。
ルマタンのママは福田 都さんという。オープンは1988年で、実はゴールデン街での営業は2軒目だ。といっても2号店としてではなく、最初の店は南側の「新宿ゴールデン街商業組合」エリアに1984~1987年の間営業していた「Sargasso Sea(サルガッソー シー)」。土地の持ち主が売却したため店を手放すことになるが、その後すぐに五番街の知り合いのママから今の場所で再起をしないかという話をもらい、ルマタンを開店させた。
都ママ。さすがベテランの域で、所見でも会話は途切れない。しかも聞き上手で料理もうまく、気遣いも達者。居心地が良くなって常連になるのも納得だ。
ママが最初にゴールデン街を訪れたのは1972年。そのころは今から想像する以上に混沌としていたようで、酔っ払いも多く、ここで働くようになるとは夢にも思わなかったそうだ。店をやるきっかけは、人の紹介から。茨城から上京したママは、元々劇団員。本業のかたわらイベントコンパニオンのアルバイトをしていたが、年齢的に限界を感じて飲食業界で独立するに至った。
右がコンパニオン時代のママ。和服姿も実に様になっている。仲良くなれば人の歴史を知れるのもスナックの醍醐味だ。
紆余曲折はあったが、ここで働きはじめて30年以上。2015年現在、「新宿三光商店街振興組合」には173もの店がひしめきあっているが、同店は古くから数えて20番目ぐらいだそう。ママは組合の副理事をやっていたことがあり、街の歴史にも詳しいが、30年間でいろいろな変化を真の当たりにしてきた。地上げ屋の隆盛や、作家に役者といった文化人らが築いたサブカルな側面、バブル前と後の栄枯盛衰に2000年以降のオーナーの世代交代やニューウェーブ店の誕生など、数え上げればキリがない。
新宿三光商店街振興組合の組合員(店舗)増減推移の年表。1986年に29店が減っているのは地上げ屋の影響。一方2003年に36店も増えているのは、大家が新規開店を積極的に招へいしたからである。
特に同店は、新聞や出版、通信関係の社会派や論客が常連だったことで有名。1985年の日航機墜落事故にはじまり、1995年のオウム真理教事件と阪神・淡路大震災、近年では2011年の東日本大震災など、大きなニュースの影で活躍する記者たちからその裏話や真相を聞くなど、ここでしか知れない情報の交換場所となっていた。
壁には常連客の著作がズラリと並ぶ。派閥関係なく夜な夜な集われていた同店。ある時は写真週刊誌のライバル社同士が酒を交わし、またある時は左翼と右翼が肩を並べて飲むという光景も見られたとか。
この日のメニューも紹介しよう。都ママは料理に関して多くを語らず謙遜するが、黙っていても酒のアテにぴったりな料理が次々に出てくる。いただいたのは枝豆にはじまり、コンニャクのピリ辛煮、ナスの煮浸し、そして自家製ハンバーグだ。一品ずつ解説する。
お通し的な枝豆。塩味がほんのりと効いていて止まらない。
コンニャクのピリ辛煮。ママ曰く「今日は辛くしすぎちゃった」とのことだったが、味の染みにくいコンニャクだからこそ、酒が進むおいしさだ。
ナスの煮浸し。しっかり冷やして寝かせることで、味がよく馴染んでいて丁度良い。
余計な脂が落とされていて肉本来の味を楽しめる、食べ応え抜群の手作りハンバーグ。スイートチリソースとマヨネーズによる自家製ソースやスイートバジルなど、計算しつくされた味のアクセントも秀逸だ。
公では絶対に公表できないような興味深い話をバンバン聞けて、さらにおいしい料理を好きなだけ楽しめて、酒も安くてうまい。ルマタンの人気の秘密は至るところにあった。とはいえ、これはルマタンに限ったことではないだろう。確かにルマタンは、特殊な業界の人が集うという点では群を抜いて魅力的であるが、多くの人の悩みや話を聞いてきたママがいるスナックは、そこらじゅうどこにでもある。その一つひとつのスナックごとに、一夜では伺いきれないディープなエピソードが眠っているのだ。
ドリンクは最もオーダー率が高いという焼酎の水割りを注文。絶妙な配分で飲みやすく、グイグイといけるのがママの熟練の技でもある。
最後に、都ママにスナックの醍醐味を聞いてみた。「うちはお客さんがマスコミに出ているから分かりやすいけど、仕事で充実している姿を見るとこっちもうれしくなっちゃうわね。お客さんからの立場でいうなら、まったく知らなかった人同士が店を通じて仲良くなって、自分にない世界の事を知れたり、情報交換ができるっていうのはステキなんじゃないかしら」。人間関係が大切であるとともに、もしこれからスナックデビューしたいのであれば、常連になれる店を1軒持っているといいのではとのこと。
ある常連客がTV出演した際に、ほかの常連仲間を交えて「どれだけ発言するか?」で盛り上がった記念のアイテム。思い出がたくさん詰まったルマタンは、ママと常連客の相互にとってかけがえのない存在なのだ。
続いて、これからのスナックについてもたずねてみた。「私自身が世代交代でここに来た身。さらには建て替えも必ずしなければいけないので、時代の流れで街は変わっていくと思う。でも、どの時代でもスナックみたいな存在って求められているはず。また、ここを含めて新宿は危険な街ではなくなってきていて、それはすごく良い事だけど、古き良き文化は残っていてほしいと思いますね」。
最近は特にフランスからの観光客が多いとか。おそらく向こうの観光ガイドブックでゴールデン街が紹介されているのだろう。そんなこんなで新宿の深い夜は今宵もふけてゆく。
組合では「桜まつり」や「納涼祭」といったイベントを行って外に発信している。もちろんルマタンも参加して積極的に盛り上げているが、このようなイベントでお店の人と仲良くなり、それをきっかけにしてお店に足を運ぶというのがゴールデン街のデビューとしては最適ではないだろうか。ということで、今回は名店の体験レポートと称してスナックのワンシーンを紹介したが、次回は一般的なスナックの楽しみ方を考察していきたい。
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