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2015年4月16日(木)17:07 トレンド

「地ビール」はいかにして「クラフトビール」として蘇ったか。

世界的に盛り上がりを見せるクラフトビールブームの背景と今後(5-1)

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取材・執筆 : 長浜淳之介 2015年4月15日執筆

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 20年ほど前に「地ビール」ブームを起こした日本のマイクロブルワリーが、近年は「クラフトビール」と呼び名を変えて再ブームとなっている。「地ビール」は粗製乱造の末に消費者の信頼を失って消えていった感があるが、「クラフトビール」として再ブレイクを果たすまでの間に、醸造メーカーは冬の時代をいかに生き残ってきたか。なぜ、今大手メーカーまでもが、クラフトビールに参入しようとするのか。取材してみた。(5回シリーズ)


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日本のクラフトビール最大手、ヤッホーブルーイングの醸造所(長野県佐久市)。


 日本のクラフトビールの歴史は、1994年に始まる。


 93年に長らく続いた自由民主党の一党支配を打破して、新生党、社会党、日本新党など8党会派による45年ぶりの本格的連立政権として発足した細川護煕内閣が、同年9月に発表した緊急経済対策では、94項目の規制緩和を盛り込み、「日本の構造変革の第一歩」と位置づけた。その規制緩和の一環として、94年4月に酒税法の改正が行われた。


 従来ビールを醸造する免許を取得するのに必要な最低製造量が年間2000キロリットルと定められていたのが、60キロリットルにまで大幅に引き下げられた。年間2000キロリットルというと、大瓶に換算すると約320万本弱。一方で、60キロリットルでは約10万本弱、日産300本程度であり、醸造士が一人で回しているようなマイクロブルワリーでも、現実的な分量である。発泡酒免許となると、さらに少量の年間6キロリットル、日産30本程度で取得が可能だ。


 これにより、大手4社に独占されていたビール産業に風穴が開き、日本各地に小規模のビールメーカーが誕生して、全国に地ビールブームが起こる。実際に店頭に商品が並び始めた翌1995年は「地ビール元年」と言われた。


 当時は91年より始まったバブル崩壊期間の真っただ中にあり、日本の景気は芳しくなく、国民は根本的に日本を変える政策を希求していた。


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日本のビアパブの草分け、両国「ポパイ」店内。


 地ビールという言葉は、日本酒の地酒より派生しており、酒税法で規定されたものではなく、明確な定義はない。しかしながら、巨大なプラントと化している大手4社とは明確に規模も、営業の形態も異なり、地域でお土産物として売られていた極めてローカル色の濃い、多くは瓶詰のビールが、当時は地ビールと呼ばれており、"改革と地方活性の象徴"として国民から熱烈に支持された。


 当時を振り返れば、「出せば売れるような状況で、飛ぶように売れた」と述懐する、今はクラフトビールのメーカーと呼ばれている小規模ビールメーカーの関係者は多い。


 酒税法改正に踏み切った背景として、1990年に現在は神奈川県厚木市にて盛業中のサンクトガーレンの前身である永興が、米国・サンフランシスコにてオープンした醸造所併設のブルーパブを成功させ、数多くのメディアに取り上げられたことが挙げられる。


 現社長の岩本伸久氏の父である光生氏は、アメリカで勃興していたブルーパブで飲んだクラフトビールの、日本のビールにはない、華やかな香り、しっかりした味わいに感動し、魅入られるように自らマイクロブルワリーの経営に乗り出した。


 同社は当時日本とアメリカで飲茶チェーンを営んでいたが、六本木の店舗にてアルコール度数1%未満のノンアルコールビールを製造しつつ、サンフランシスコから自家製造のビールを輸入して売るということも始めた。特にアメリカのマスコミからは日本の産業規制の象徴として「岩本のビール造りの夢はかなった。ただし、それは日本ではなく、アメリカで」と皮肉たっぷりに報道されたのが、規制緩和に熱心な政治家たちや彼らのブレーンの琴線に触れたと言われている。


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4月10日開催、「東京ビアウィーク2015」スプリングバレーブルワリー@代官山トークショー「7人の侍 本音でトークバトル!」のトーク風景。


 日本地ビール協会・小田良司会長によれば、「95年には17社の地ビールメーカーが誕生。そこから突然、98年には300社くらいにまで増えた」(4月10日開催、「東京ビアウィーク2015」スプリングバレーブルワリー@代官山トークショー「7人の侍 本音でトークバトル!」の発言より。以下同)とのこと。その頃、「アメリカでもクラフトビールという用語は使っておらず、ブルーパブ&マイクロブルービアという呼び方をしていた」そうだ。


 日本にはおいしいビールの造り方を教える専門の教育機関は、現在にいたるまで存在していないが、その頃創業した各社は、アメリカやドイツに勉強に行くか、アメリカやドイツから醸造士を招いて地ビールメーカーを立ち上げた。あるいは、先に創業した地ビールメーカーの醸造士に弟子入りして、技術を習得するケースもある。


 ところが、我も我もと新規参入してくる中には、生半可な知識で製造を始めるメーカーも少なくなく、第三セクターがまちおこしのために参入してくるため、観光の客寄せに地ビールがほしいだけで、本気で品質の良いビールを造ろうといった気概に乏しかった。


 2000年頃には「地ビールは高くてまずい」といったイメージが、消費者の間で形成されてしまった。地ビールメーカーの経営は急速に悪化し、3分の1は淘汰されて、2003年に底を打った後、現状はやや増えて200社ほどになっている。


 1995年に日本の地ビール第1号として製造を開始した「エチゴビール」を早速導入して以来、日本のクラフトビールを発信・提供し続けるビアパブの草分け、「麦酒倶楽部ポパイ」のオーナー、青木辰夫氏は「ブームが終わった2000年頃の地ビールは品質が悪いものばかりで、店に置ける商品がなかった。出荷量より返品量のほうが多いメーカーばかりだった。仕方がないので、あるブルワリーにお願いしてオリジナルのビールを造ってもらったほどだった」(同イベントでの発言)と回想する。


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ヤッホーブルーイングは幾多の品評会受賞歴があるが、日本のクラフトビールメーカーには、同様に多くの受賞を重ねているところが何社かある。


 「酒税法では、ビールの原料に関して関税割り当てというものがあり、今年度これだけ使いますから、これに対しては税金をかけないでくださいとやっている。ブームが終わって製造量が落ちてきたら、原料が余ってしまう。その余った古い原料を使って、翌年のビールを造ろうとするからまずいわけです。だから、誰も飲まなくなったのです」(同)。


 そうした中、アメリカではブルーパブ&マイクロブルービアのさらなる進展で、大手ほどではなくても決してマイクロの規模とは言えないベンチャー・ビールメーカーが育ち、90年代終わり頃から、職人気質で造るこだわりのビールをクラフトビールと呼ぼうといった気運が盛り上がってきていた。アメリカでビール造りを勉強したブライアン・ベアード氏は夫婦で、2000年に静岡県沼津市にベアード・ブルーイングを創業。彼らの醸造する「ベアードビール」を一貫して、クラフトビールと呼称してきた。


 ベアード氏によれば「その頃、地ビールブームは既に終わっていた。地ビールはビール主導型のビジネスではなく、観光客を誘致するための客引きで、お客様は一度飲んだらもう二度と飲まない。今でも、残念ながら過半数の地ビールはそのままなのではないか。クラフトビールはまちおこしのために造るのではなくて、愛情あふれるスピリッツを込めたビール。そのような良いビールを造っていると、観光客も集まってくるし、まちおこしにもつながる。今やっと私たちの考え方が理解されてきた」(同イベントでの発言)と、意識的にイメージが悪化した地ビールと、クラフトビールを区別し、職人の創意工夫あふれるマイクロブルワリーを再構築する狙いがあったことがうかがえる。


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地ビールの製造プロセス。


 また、長野県軽井沢町に本社を置くヤッホーブルーイングは、星野リゾートの星野佳路社長がアメリカ留学中にニューヨークのブルーパブで飲んだ、個性的なビールに魅了され、日本でいつかこのようなビールを造ってみたいと志を持ったことに始まる。酒税法改正で日本でもマイクロブルワリーでの醸造が可能になったのをきっかけに96年に会社が設立され、翌97年より長野県佐久市の工場から製品が送り出されている。


 ヤッホーブルーイングの井手直行社長の回想では、「創業当時は順風満帆だったが、99年をピークに、地ビールに持たれたマイナスイメージに会社が巻き込まれてしまった」。その際に井手社長は、当時からビール品評会で賞を取ったりはして高評価を得ていたが、まだ品質的に安定しきれず、味にばらつきがあったことを反省。4、5年続いた低迷期に品質改善と安定化に努め、技を磨くことで消費者からの信頼回復を待った。


 品質が安定してきたら、販売を伸ばす戦略を考えた。地ビールに付きまとった負のイメージで、「よなよなエール」をはじめとする同社の商品を扱おうとする、問屋、酒屋、スーパーはなかった。そこで、井手社長はインターネットで直販する手段に出て、「楽天市場」に出品するとこれが大当たり。2007年より8年連続で「楽天市場」のグルメ・ドリンク部門でショップ・オブ・ザ・イヤーを受賞している。


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ヤッホーブルーイングの主力商品群。


 「楽天さんからはデザインに凝るよりも、商品説明を詳しくして、思いを伝えたほうがいいとアドバイスされました。ネットショップには全国に点在しているクラフトビールのファンを集める力があって、そこそこの規模のビジネスになるわけです」。


 ネットで成功すると、興味を持つ流通もビアパブも出てくる。全てが良い方向に回り始め、ヤッホーブルーイングはクラフトビール最大手に成長している。


 「麦酒倶楽部ポパイ」の青木氏は、「ベアードビールとよなよなエール、アメリカンタイプのこの2社が出てきて救われた」と語っており、地ビール冬の時代に、これら2社が果たした役割は大きいと言えよう。幾つかの他の地ビールメーカーも、品質を高めて攻勢に転じた。


 現在の日本のクラフトビールブームは、このような日本の地ビールメーカーの努力に加えて、アメリカのみならず、イタリア、フランスなどといったヨーロッパ諸国で近年起こっているクラフトビールのブームにも影響されており、世界的なトレンドの中で成長していると言えるだろう。

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