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2017年1月11日(水)17:38

東海道の面影

大鶴義丹が行く ~私の外食ラバーズ~ vol.6

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取材・執筆 : 大鶴義丹 2017年1月11日

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 今は亡き私の祖母は浅草育ちで、その父は銭湯を経営するなどして、大正の関東大震災で大損害を受けるまでは、当時としては裕福な部類の生活をしていたという。
祖母は当時創設されたばかりの上野女学校にも通っていた才女で、大人になってからも女流作家になろうとしたという。

 なので事あるごとに子供の私に、戦前の東京の色々な出来事や、当時の社会の雰囲気を面白おかしく語ってくれたものである。私は祖母から20世紀初頭の、リアルな東京の風景を聞くのが大好きだった。祖母の口から語られる大正時代の東京の街並みを想像すると、まるでタイムマシンに乗って当時の世界に迷い込んだような気持ちになることが出来た。

 柔らかいガス灯に照らされる街並み、アスファルトで舗装などされていない道を、蹄の音を響かせて馬車が進んで行く。初めて走る自動車を見たときの驚きや、上野の山の上から見渡すことが出来た東京の姿。
 
 当時からSF好きの子供だった私は、大正時代に行くことが出来たらと夢想した。
祖母の話の中で、とくに鮮明に覚えているのは関東大震災のときの地獄絵図と、当時の東京湾の美しさである。

 春になると浅草から朝早く出て、歩いて今でいう大森海岸のあたりの浜辺に潮干狩りや、夏には海水浴に行ったと言う。当時は八幡海岸と呼ばれ、明治の末期から人気のリゾート地のような場所だったという。

 交通の便が良いことから料亭などが何軒もあり、大人たちがたくさんのお金を使ったと言う。子供の私にとってそのあたりは埋め立て地のイメージしかなく、そこが自然の中の一大リゾート地であったとギャップに興奮した。

 また波打ち際の水はきれいに透き通っていて、今でいうところの伊豆のような雰囲気だったと言う。当時は公害や東京湾のヘドロが問題になっていた時代で、そこにかつては透き通った水が満たされていたという事実にショックを受けた。

 都内にあったそんなきれいな浜辺を、今の自分たちも遊べるように残しておかなかったのだろうかと、子供ながら東京の無軌道な発展に疑問を感じた。昭和から平成になり、私があまり好きじゃない光景がさらに増え続けている。

 第一京浜の通りを品川から南下しても、無機質な色のビルやマンションしか目に入らない。浜辺を探しても運河と巨大な倉庫や工場が果てしなく続くだけで、海水浴など夢のまた夢。その周辺の駅前も大型店やショッピングモールが街の姿を変えていき、どの駅も似たような姿と色合いになっている。

 だが、大井町の東側の飲み屋街に、ほんの少しだけ昭和そのままの飲み屋街が色濃く残っていると言う話を聞いた。しかし、そこにも都市開発の爪が伸びているのが現実で、いつその街もお決まりの姿に作り替えられるかも知れず、今のうちに飲み歩いておけという。

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 大井町駅東口を出て北側の線路沿いに向かうと、迷宮のような飲み屋横丁が広がっていた。東小路、平和小路、すずらん通りには、戦後のやみ市を思わせるような飲み屋や食堂が60軒ほど集まり不思議な世界を作り上げている。

 夕方過ぎ、最初の路地である東小路に辿り着いた。そこから奥深く、人がすれ違えるだけの広さで続く小路を覗き込む。映画のセットのような風景にこの街は期待できると直感した。

 まず最初に目に入ったのは立ち食いスタイルで美味い寿司を出すことで有名な「いさ美寿司」であるが、まだ準備中であった。だがそのすぐ先に八人も入ればいっぱいと思われる広さの串焼き屋から良い匂いの煙が漏れていた。

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「鳥たか」

 店主と思われる男性はまた若さの感じる三十代後半といったところだが、どこかの店でしっかりと正当な修業をしていると思われるような仕事ぶりである。

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 名物だと言う「白レバのオイル漬け」をいただくと、立ち飲みという範疇にとらわれない上品な仕事ぶりである。続いてタイ料理屋での働いた経験があると言う別の店員さんが作る、本格的なタイ料理を注文。ヤキトン、焼き鳥と続けて連打したが、どのつまみも全てかなりの高レベルである。

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 このような立ち飲みスタイルで、このレパートリーとレベルを維持するのは大変な努力がいるだろうと、店主の若き意気込みに元気を貰った気がした。私は生ビールだったが、同行した仲間はホッピー、割る焼酎は、金宮といった具合にケチらずに黄金律を守っている。

 東小路を抜けて商店街に出ると、不思議な光景が飛び込んで来た。

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「肉のまえかわ」

 角にある肉屋さんの看板の下に、大勢の中年男性が立ったまま集まっているのだ。そしてよく見ると手には缶ビール、簡易的なテーブルに並んでいるのは一様に生肉が入っている小鉢である。常連客らしき男性にここは何なのですかと聞くと、肉屋で角打ちだと不思議なことを言う。

 しかし店内に入るとそのシステムは一目瞭然。肉屋が肉料理を作って提供し、客は奥の冷蔵庫から勝手に缶ビール、缶チューハイ、冷酒、その他を勝手に持ってきてお会計をする。その後はかなり適当な作りのテーブルめいめい勝手に立ち飲みするといったことなのである。

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 しかし、肉屋さんが作る肉料理であるが故に、そのクオリティは角打ちのレベルではない。その日は牛タタキとササミ刺身であった。生肉系にはうるさい私であるが、このツマミの値段とそのクオリティに悶絶。これは中年男性が湧くように集まってくる訳である。しかしどう見ても単なる肉屋さんの中で勝手に飲むと言う、不思議な光景である。

さらに面白い角打ちがあると聞いたので商店街を進んで行く。

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「武蔵屋酒店」

 言われた通りに商店街を進んで行くのだが、その角打ちの店は一向に見えてこない。二回行ったり来たりしていると、商店の間にポツンとその店が隠れていることに気が付いた。

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 正直、ちょっとしたスペースがあるだけで、外からは何の店かよく分からなかった。酒が入っている冷蔵庫の横に、無造作に駄菓子が並んでいるのが衝撃的だった。駄菓子をつまみに角打ちする場所なのである。

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 私は醉イカを一本注文して瓶ビールを無言で飲んだ。常連の中年男性たちは店のオバちゃんと世間話に花を咲かせていた。完全にアウェイな雰囲気であるが、排他的ではない。常連さんも一見さんも、それぞれ好きにやってくれという感じだ。

 タイミングを見計らい、この大井町の飲み街の歴史について尋ねると、やはり今は大型店が宮殿のようにそびえている駅の反対側も昔は小さな商店や飲み屋街が沢山あったと言う。

 祖母に聞いたきれいな海岸の話をすると、そのオバちゃんも、自分の親もそんな話をよくしていたと言う。今となっては大井町が海辺のリゾート地であったことを思い出す人間などいないのかもしれない。

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「臚雷亭(ローライ亭)」

 美味しい中華の匂いに誘われ足を進めると、すぐ近くの細長い店から中華料理の煙が溢れ出ている。小さな店の中を覗き込むと、その光景に笑顔を隠せなかった。これは珍しい店だ。なんと、そこは立ち食いの本格中華料理屋さんなのである。私はパプアニューギニアから南米と、色々な国の中華料理屋の経験はあるが、立ち食いの中華料理の店というのは初めてである。

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店を切り盛りするのは中国語を話す二人の中年女性で、ひとりが全ての料理を作り、もう一人が接客と会計をしている。

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壁に貼られている本格中華メニューを見て悶絶した「チャーハン250円・ザーサイ100円」

 冗談のような値段設定である。しかし周りで舌鼓を打ちまくっているお客たちの前に並んでいる料理はどれもしっかりしたもので、量も決して少ないわけではない。

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 嬉しくなり、色々と食べきれないくらい注文してしまった。なかでも一番のお気に入りは水・焼き餃子で、それぞれ驚愕の五個230円。皮が手作りでモチモチ、餡もたっぷり、日本人ではなかなか出せない本格的な雰囲気なのである。

 世界初の立ち食い中華で、世界一のコスパの餃子と言い切っても良いだろう。

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「いさ美寿司」 

 大井町に詳しい方に聞くと、大抵の方がこの立ち食い寿司屋の名前を出することが多い。行列店でもあり、タイミングが合わないと入れないことも多いと言う。実際に私たちも開店時を逃すと客足が途切れずなかなか入れなかった。

 しかし、どうして大井町の名店というのはこれほどまでに立ち食いスタイルが多いのであろう。

 やっと入れた店内は本当に狭小スペースで、店内自体が、車の駐車場一台分といった感じだ。

 この店の名物は、何と言ってもイカゲソの握り一貫30円である。餃子の値段に驚いている場合ではない、大井町ワールド恐るべしである。しかし今までの店とは違い、ここは生魚を扱う寿司屋である。その人気の真相はいかにと、熱燗とイカゲソの握りを二貫ほど頼んだ。

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 出てきたイカゲソの握りを口に入れると、少しでも疑った自分を恥じた。こんなにちゃんとしたシャリで、こんなにちゃんと仕事をしてある江戸前ずしを一貫30円で食べさせてもらい、全く持ってごめんなさいである。

 いや、実を言うと、握りを口にする前から、大将の仕事の仕方を見ていて、この店が安いだけ売りにしているだけの店ではないことは分かっていた。シャリも江戸前らしく、少し赤酢を混ぜていると思われる。

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 続いて牡蠣の軍艦とインドマグロを二貫ずつ頂いた。牡蠣は、新鮮は当然、しっかりと水気を取っていてシャリと相性が良いマグロは厚切りでずっしりと脂を感じられた。大将は決してトークが上手いという雰囲気ではないが、決して嫌な感じや不遜ではなく、サービストークの前に一生懸命仕事をしていますと言わんばかりの熱心さである。

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 私はとても居心地が良く、驚異的な値段の安さなど忘れ、ひとりの職人が無言で奮闘する姿に見惚れてしまったほどだ。

 気が付くと店の外には再び行列ができていた。こういう店に長尻は禁物である。残った熱燗を飲み干しお勘定をすると千五百円でお釣りがきた。

酔ったせいか、年末だというのに夜風が暖かい気がした。

 大井町の迷路の様な小路を歩きながら、この街の基本ルールとも言える、激安とは何だろうと考えた。当然、激安だけでお客が集まる程に甘くはないのだろう。激安の言い訳など通用しないくらいに、この飲み街のツマミはたらふくかつ美味しい。もしかすると順番が逆で、美味しいが当たり前で、そこから激安が後を追いかけているのかもしれない。

 東京はこの先も変わり続けるだろう。この街が海沿いのリゾート地であったなどと言うのは、今となっては100年も前の昔話で、街のどこを探してもその面影などある訳もない。だが、酔いに任せて無数にあるような店をハシゴし続けていると、時々潮風の匂いがすることがあった。

 私がもっとジジイになった時、自分の孫にどんな昔話をできるのだろうかなどと考えながら、〆の店はどこにしようかと、となりの路地に足をさらに進める。

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大鶴義丹(おおつるぎたん)
≪ 生年月日 ≫ 昭和43年4月24日
≪ 出身地 ≫ 東京都
≪ 出身校 ≫ 日本大学芸術学部文芸学科 中退
≪ 血液型 ≫ A 型
≪ 趣 味 ≫ 料理、バイク、車、釣り(小型2級船舶免許)
≪ 特 技 ≫ 料理、素潜り
≪ スポーツ ≫ スキー、モータースポーツ(2輪・4輪共にレース経験あり) 
≪ 資 格 ≫ 大型自動二輪免許
≪オフィシャルブログ≫http://ameblo.jp/gitan1968/

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