スマートフォン版のフードリンクニュースを見る

広告

RSSフィード

フードリンクレポート

フードリンクレポート

2016年10月03日(月)20:39

北千住の深度

大鶴義丹が行く ~私の外食ラバーズ~ vol.3

記事への評価

  • ★
  • ★
  • ★
  • ★
  • ★
0.0

取材・執筆 : 大鶴義丹 2016年10月3日

キーワード :  

_MG_7401.png

 夏の終わり、北千住の街を千鳥足で彷徨ってみた。街の奥は迷子になるような細い迷路が無限に続いている。気を抜くと方向感覚を失いそうになるくらいである。迷路の様な細い道で構成された街並みを怪しいネオンや赤ちょうちんが照らし、あちこちからホルモンの脂とニンニクが作り出すスモッグが発生している。

_MG_7432.png
下町というだけでは片づけられない不可思議な町の磁場に戸惑いながら、何軒目かの立ち飲み屋さんで濃い目のホッピーを飲んでいると、隣で顔帆赤くしている地元出身だと言う老人から、戦前の北千住の街並みの話を聞くことができた。

「君は赤線なんて言葉は知らないだろうな・・・」

 今現在の北千住は繁華街としてはかなり繁盛している雰囲気であるが、彼曰く、当時は今現在より人や店が多かったと言う。そこはまさに外の街とは全く別の世界であり、今の世の中では想像もできないことや、許されないようなことが当たり前であった異界であったと言う。

 その酔っぱらった老人の言葉に刺激された私は、次の日に北千住の歴史に関する本を幾つか読んでみた。また大学で日本史学科を専攻する娘に電話をかけて江戸幕府のインフラ整備について質問。

 娘曰く、この東京の街の在り方やその歴史を調べていくと、江戸五街道と四宿場という、1601年に徳川家康が全国支配のために江戸と各地を結ぶために整備し始めた五つの街道と、その街道沿いに出来た宿場町の存在が必ず関係してくるとのことだ。

①東海道は日本橋から品川、川崎、小田原、 箱根、駿府、浜松を経て、京都・三条大橋まで。

②中山道は日本橋から板橋、高崎、下諏訪、木曽路を経て草津まで。

③甲州街道は日本橋から、内藤新宿、高井戸、調布、府中、日野、八王子、甲府を経て、下諏訪で中山道に合流する。

④日光街道は日本橋から、千住、宇都宮、今市を経て、日光まで。

⑤奥州街道は日光街道と重複しながら、日本橋から陸奥・白河まで。

 江戸四宿とは江戸時代に五街道それぞれで江戸の中心である日本橋に最も近い、四つの大きな宿場町のことを言う。地方と江戸を結ぶ各街道の第一の宿場町であり、それぞれの街道において江戸の出入り口として重要な行政的役割を持ち、人・物資・情報・文化のターミナルであり、周りの地域と大きく異なった規模の街であった。

 その中でも日光街道と言うのは、徳川家康を東照大権現として祀る日光東照宮へ至る主要道路として、東海道に次いで整備された街道であった。

 そしてその第一の宿場町というのが、北千住駅が出来る遥か昔の「千住」であり、この宿場町は奥州街道の第一の宿場町と言うことでもあり、江戸時代後期の記録によると、約2400軒もの宿があると記されていると言う。

 なるほど、それだけの規模である。当然その数だけの遊郭やその他の産業が発展しているのは推して知るべしで、まさに想像を絶する巨大一大歓楽地であったのだ。

 さらに調べていくと、幕末を迎え、明治という時代になっても、遊郭は風俗産業へと近代化し、明治29年に北千住駅ができたことから駅前の風紀上の問題から遊郭は近隣に移動などはしたが、大正、昭和と「赤線」として都市型風俗産業エリアとしての役割を、昭和三十年代半ばまで担い続けた。

_MG_7423.png
一大宿場町としての何百年にもわたる街の在り方。そのような特殊なエリアでありながら、幸いにも震災と戦火から免れた場所が多いことから、北千住には未だに歴史的な景観や細くて折れ曲がった路地が残っているのだ。つまり北千住の異様なまでに細分化された迷路のような路地裏は、全て長い歴史や色々な意味を持っているということなのだ。

 北千住が深層で持っている歴史を知ると、その歴史の磁場を肌で感じながら酔っぱらってみたくなるのが私の性である。またその磁場は最高のツマミでもあるのだ。

 再び訪れた北千住で私が向かったのは、酒臭い息で北千住の深い歴史を教えてくれたあの老人と出会った立ち飲みや「ざわさん」である。

 立ち飲み屋としては今風の造りの店内で、小料理屋的清潔感に溢れている。奥にテーブルがあるがそれ以外は立ち飲みオンリーの、「プロ飲み師」御用達といった雰囲気だ。

_MG_7438.png
ここで食べたイカ刺の鮮度が抜群で思わずお代わりをしてしまった。目の前には贅沢にクルマエビの串焼きが並んでいて、当然その誘惑に勝てる訳もない。

 他にも魅力的なメニューがたくさんあったが立ち飲み屋での長居は御法度だと、二件目に向かう。

 細い路地裏の一本一本を迷路を解くように進んでいくと、通りと通りの間をつなぐトンネル通路のようなものが、その間のビルの中を貫通している光景に幾つも出くわした。それが私道なのか建物の持ち主がサービスで通りを繋ぐ通路を提供してくれているのか分からないが、他の街ではなかなか見ることがないものである。同行した仲間としばらく思案したが答えが見つかる訳もなく、次の有名店へと向かった。 

_MG_7411.png
行列の出来る風串揚げの屋「天七」に運良く入ることが出来た。ここは東京での関西風串揚げの草分けであると言う。

 店内は想像以上に広いスペースで、威勢の良い黄色い制服Tシャツを着た店員さんたちを囲むようにコノ字カウンターの立ち飲みスタイルである。大きな立ち食いソバ屋のような雰囲気と言えば分かり易いだろう。カウンターには大きなトレイと、キャベツ、ソースが並ぶ。もちろんソースは二度漬け禁止であるということは言うまでもない。

 ここの串揚げは衣が薄めでかなりカリッとしていた。少し辛口のソースにドブ漬けしても具の熱さは失われず、気をつけないと舌を火傷してしまうほどだ。灼熱に対抗するべきと、私は大瓶のビールと決め込んだ。じつは私は生ビールよりも激冷えの大瓶ビールが好きなのである。その理由は、生ビールは店舗によって味のバラつきがあり過ぎるからだ。本場大阪の有名串揚げ屋に何軒か行ったことがあるが、東京の贔屓目なのか、この店の串揚げのレベルは相当のところにあると感じた。

_MG_7484.png
衣とビールでお腹が膨らんだところで、同行した仲間が「千住葡萄酒」という不思議なワインバーがあると言う。グラスワインだけでも良いので行ってみたいとのことだ。北千住まで来てワインバーというのも少し疑問に感じたが、あれこれ考える前にお腹に入れてしまう方が男らしいと即決。
 
_MG_7483.png

 店を一人で取り仕切る雰囲気のあるマスターの説明を聞くと、最初は、客はおつまみが選べず、選んだワインに合わせておつまみを出すこだわりのスタイルとのこと。私はかなり個性的な風味のトスカーナワインを選ぶと、梨とプロシュートのおつまみが出てきました。確かに素晴らしいマリアージュで納得。

 ワインバーを出た頃にはいい感じに酔っぱらってきていた。まだまだ夜は更けてゆくばかりに、次の店を探そうと、ひと一人が通れるだけの細い路地裏に入り込む。ネオンに照らされた迷宮に迷い込んでいくことを楽しむかのように進んでいくと、他の繁華街ではなかなか見られないような細い路地裏が永延と続く。

 薄暗い路地の奥を覗きながら、400年以上続いているこの「宿場町」の磁場をゆっくりと味わう。この磁場でお腹はすでに一杯だ、次の店では濃い目のホッピーで〆ることにしよう。

 私は千鳥足で、異次元の遊郭に続いているかのような薄暗い路地を進んで行った。

_MG_7517.png
大鶴義丹(おおつるぎたん)
≪ 生年月日 ≫ 昭和43年4月24日
≪ 出身地 ≫ 東京都
≪ 出身校 ≫ 日本大学芸術学部文芸学科 中退
≪ 血液型 ≫ A 型
≪ 趣 味 ≫ 料理、バイク、車、釣り(小型2級船舶免許)
≪ 特 技 ≫ 料理、素潜り
≪ スポーツ ≫ スキー、モータースポーツ(2輪・4輪共にレース経験あり) 
≪ 資 格 ≫ 大型自動二輪免許
≪オフィシャルブログ≫http://ameblo.jp/gitan1968/

読者の感想

興味深い0.0 | 役に立つ0.0 | 誰かに教えたい0.0

  • 総合評価
    • ★
    • ★
    • ★
    • ★
    • ★
  • 0.0

この記事をどう思いますか?(★をクリックして送信ボタンを押してください)

興味深い
役に立つ
送信する
誰かに教えたい
  • 総合評価
    • ★
    • ★
    • ★
    • ★
    • ★
  • 0.0

( 興味深い0.0 | 役に立つ0.0 | 誰かに教えたい0.0

Page Top